【MAGIC OF ART #8】目標設定はお好きですか?

わたしは輪郭から描くのが苦手だ。こっちゃんにも、不思議がられるのだが、いつも目に留まった小さな小さなパーツから描く。周りの輪郭を先に確定させてしまうことで、全体のつじつまが合わなくなるのが嫌なのだ。

逆さ部分攻め※注1という、一風変わった描き方をしているのも、輪郭を決めずとも、描いた線が輪郭を決めてくれるからだ。

注1:逆さ部分攻め」とは?
モデルを逆さまに見て、描く時は「一部分」に集中する技法だ。ここ最近、私が描くゴリラは、すべてこの方法で描いている。B.エドワーズ著『脳の右側で描け』という著書に詳しく載っている。ただし、「部分攻め」は、本書では「純粋輪郭画法」と紹介されているので、注意されたし。

目次

輪郭=目標を決めずとも、絵は描けるし、死ぬこともない

物心ついたときから、「ピンときたら、ダーッ!」を繰り返してきた。人生そのものが「部分攻め」の連続である。それどころか、世間から見たら、およそ「逆さ描き」のように、ひっくり返してどうだ!ばかりの人生だ。 そう思うと、悲しいかな、ちょっと笑けてくる。

ここ半年だけを振り返っても、マッキーにピンときたらGO!ゴリラいいじゃん!と思ったら、迷わずGO。

毎朝7分間のゴリラ瞑想

年が明けてからは、GO!GO!GORILLA!と言わんばかりに、毎日7分のゴリラ瞑想(=万年筆ドローイング)をはじめた。

すると、不思議なことがおこってくる。

空なったルイボスティの箱をみて「ゴリラ、イケるんちゃう?」と描いてみたり、真っ黒な紙にホワイトゴリラを描いたり。

sano-degawa

そんなことをして一体何になるんですか?

という声が今にも聞こえてきそうだが、たった7分間、描きたいものを描く、ゴリラ瞑想の効用は思いのほか大きい。

当店は新鮮なので、毎回味わいが異なります。
ホワイトゴリラもカッコいいではないか。

描いた線が輪郭を決めてくれる、そんなアプローチもある

世間や社会は「目的」「目標」という名の輪郭から決めるのが定石となっている。目的、目標なき行動は意味がない。そうハッキリいう人もいるし、目標が決まっているから、安心して動ける人もいるだろう。

でも、目的に向かって進んでいるうちに、どうもしっくりこないのよ、なんだか苦しいのよ。ということもあるのではないか。「甘い!」と言われればそれまでだが、先に目標を決めれば、当然、それに「合わせて動く」ことが優先される。もちろん、目標達成には好都合だが、同時にあたらしい線が生まれる可能性を「無意識に」捨てていることも、たくさんある。

目標を決めたところで、どう考えても、「つじつまが合わない」事態に直面することは必ずある。それなのに「この輪郭(目的地)が正しいのだ!」と、架空の正義を振りかざし、無茶を強いて、視野が狭まっていく。まぁ自分に強いるだけならいいのだが、他人まで巻き込んだりすることになると、内心、「ほんとうにこれでいいのか?」と、矛盾に葛藤する。でも、それを表にだすことは許されない。

じゃあ、一体、何が正解なのか?心の奥底が求めるほんとうの答えはなかなか見えてこない。いつのまにか、自分と輪郭=目標の主従関係が入れ替わり、決められた輪郭の中で、思考がループしている。

はて、これは何のためにやっていたのだ?
一体、誰がしあわせになるというのか。

やってみたいこともわからないまま生きるなんて、嫌だ

人生も仕事も、輪郭から描こうが、部分から攻めようが、完璧につじつまが合うことなんて、絶対にない。輪郭=目標設定をキッチリやるスタイルがうまくいかないのなら、思い切って、描きたい線から描いてみたらどうだろう。つまり、目標設定なんて忘れて「やってみたいことからやる」のだ。

やってみたけど、3日も続かなかった。がっかりすることもあるだろう。でも違ったなら違ったで構わない。自分について、3日前より知ることができた。よかったではないか。

私は、娘につられてピアノをちょっとやってみたが、「これ弾いて」と頼まれなければ、練習なんてしない。つまり、その程度だったということだ。ピアノは一向に上達していない。でも、別に凹んでもいない。頼まれたら練習する。一方の娘はドビュッシーの月の光の冒頭数小節を、暗譜で弾けるようになってしまった。フラットだらけでも、全然平気だ。やってみたい気持ちに濁りがないときほど、上達は早い。

わたしたち大人は、「本当にやってみたいこと」すらよくわからないまま、生きていたりする。なんとなく、それいいね、と思う他人の趣味に憧れているだけだったり、時間ができたらやろう、なんて平気で後回しにする。

でも、それは、人生を通じて自分の描きたい線もわからないまま、何も見ないで生きていることと同じだ。日々追われている「やらねばならないこと」が、いつか素敵な絵画になるなんて思っていたら大間違いである。それは、あなたが人生をかけて、本当に描きたい絵ではないからだ。死んだあと、あなたの魂が持って帰りたいのは、その絵ではない。

7分間のゴリラ瞑想は何を与えてくれている?

やってみたい!の気持ちだけで、私はマッキーを握りはじめ、半年後、万年筆のゴリラ瞑想に進化した。やってみたいことは、どんどん変わっていい。というより、変わるのが普通だ。

7分間ゴリラ瞑想は、その日ピンときたゴリラを描くだけである。描いている最中は、「見えた線」に集中するだけだ。ただ、それだけのことだが、好きなゴリラを描くことで、まず自分の心が満たされる。脳が活性化する。思いがけず、傑作が生まれちゃったりする。明らかに自分の能力を超えていたりする。でも、間違いなく自分が手を動かして生まれてきたものだと思うと、ニンマリする。

ゴリラ瞑想画は年明けからはじめて、すでに20枚積み上がっている。目の前の線を信じて描いた証がすでに20枚になったということだ。【ものすごく変なゴリラ手帳】ができあがることに、ワクワクする自分がいる。「やってみたいこと」だから、苦しくないし、むしろ楽しい。毎日、幸せな7分を積み重ねることで、いつのまにか作品の輪郭だけでなく、仕事や自分の輪郭まで更新されている。こんな面白いことはない。やってみたいことが見つからない、という人は、とりあえずマッキーでも握ってみてはどうだろう。

TOMOKO

【編集後記】
「逆さ部分攻め」が気になる人は、木村創作教室の「快画」というワークショップに参加してみるのもオススメだ。B.エドワーズ女史の本を見ながら描いても、「ふーん。たしかに前より上手く描けるね」で終わってしまいがちだからだ(経験者談)。

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この記事を書いてる人

TOMOKO|異才編集者|偏りを魅力と価値に編集する人

ゴリフル|GORILLA FULLNESS 連載中
ことばをもたないゴリラの世界を手がかりに、AI時代のことばと生きる感触を問い直しています。

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