先日私の地元の神社で「一箱古本市」っていうイベントがあり、そこでものすごく素敵な装丁のZINE(リトルプレス)に出会ってしまいました。

著者の中村季節さんは、
大工をしながら執筆もされている女性。
この『ベトナム』は家業の大工を
始める直前のベトナム旅行記。
軽快で小気味良い文体。
一気に読み干してしまいました。
・武田百合子の『富士日記』
・林芙美子の『放浪記』
・沢村貞子の『献立日記』『老いの道づれ』
このあたりの女性作家の日記文学や、エッセイが好きな人はハマりそう。
で、ベトナムを読み干して、ほかに本はないの?
と調べたら、ありました、ありました。

季節さんは、最初に出したZINEが出版社の目にとまり、『大工日記』という本で、商業出版デビューを果たした方だったんですね。
タイミングよく、出版記念の対談を聞くことができたのですが、季節さんは新人賞目指して3、4年、何十回と出したけれど、一度も選ばれることはなかったそうです。
このままじゃ、いつまでたっても本が出すことができない。
ならば、自分の好きなものを書いてだそう!と、舵を切り替えて出した、最初の作品(ZINE)が『大工日記』だったそうです。
書きたいものがあるのに、どこに向いているのかわからなかった
彼女はずっと作家になることを目指して書いてきたそうです。
でも、新人賞を目指して書いているときは、書きたいものはあるのに、どこに向いているのかわからなかった。
ZINEをつくると決めて、
「自分と友達が読んで楽しいものを書こう」と、ギュッと視野が狭まったそうです。
誰のために書くのか?
新人賞で選ばれるためじゃなくて、顔の見える誰かのために書く。
そう決めて「大工日記」という作品が生まれたと、話しておられました。
ビジネスの発信も、似たようなところあると思うんですよね。
「選ばれるためのことば」を使うあまり、自分のほんとうに伝えたいことからズレていってしまうようなこと。しかも、無自覚に。
ゴリフルを本にします。
実は、ゴリフルは、このブログとは別の場所でも連載していました。
ゴリラをきっかけに、自分の思うことを書いていたら、いつの間にか、投稿を楽しみに
してくれる人たちが現れて「本にしようよ」って言ってくれる人たちが現れました。
しかも、ゴリラもいいけど、文章が目が離せない、とな。
泣ける。
でも、そう言ってくれる人たちのために、本にしようって決めました。
と同時に、どうしても書くことをやめられなかった人のための、
小さな編集室「余白」も始めることにしました。
決めた2日後に『ベトナム』に出会えたので、これも何かの応援かなって思ってます。
ゴリフル自体は書きたいから書いていただけですし、本をつくったところで赤字かもしれない。
でもね、言いたいことも言えずに終わるなんて嫌だし、この人たちに届けるためなら書ける! って思ったんですよね。
早速、まえがきに着手しながら、ことばを持たないゴリラにどうして惹かれるのかを考えていたのですが、遺伝的にはものすごく近いとされるゴリラと人間の最大の違いはやはり「ことば」の有無だろうと思います。
ゴリラは言葉でごまかすことができません。言葉で問題を先送りにしたり、回避することができない。
いま、その瞬間の自分のすべてを以って、真摯に相手と向き合わなければ群れの中でいっしょに
暮らすことができません。
一度でも群れを離れたゴリラは群れに戻ることができないといいます。
彼らは、自分の不在、空白の時間を埋めることばを持たないからです。
では人間はどうでしょうか。
以前ハラリ氏の話も引用しましたが、ことばを持った人間は、ないものをあるように見せることも可能になりました。
未来、希望、記憶、空白の時間、自分の不在。
ほんとうにあるかどうかを確かめることができないものを、ことばで埋めることができる。
目の前になくても、それはあった、ある、きっとあると信じられるのは、人間だけです。
ことばは、人間の最強にして、最大の武器だ、という人もいます。
でも、私は同時にことばは、それほど強力だからこそ、人間の最大の弱点にもなりうると思うんです。
ことばによって、自分のほんとうをごまかすことも偽ることもできてしまうから。
ごまかせる相手は他人だけじゃありません。
自分自身を偽ることができてしまう。
だから、ことばは、大切に扱わなければならない。
ことばを大切に扱うことは、自分を大切に扱い、そのことばに触れる人を大切に扱うことです。
だから、どうして?
って思うような言葉に接すると、私はどうしようもなく悲しい気持ちになる。
そんなこと言わなくてもいいのに。
強い自分を見せる必要なんてないのに。
ドローイングをはじめたのは、ことばで表現しきれない何かを感じて、それを埋めたいと思ったからでした。もちろん、私の技術ではすべてを埋めることはできないし、
コキンちゃんお前は絵じゃなくて文章だ
なんて、言われたりもしてるけど、絵を描き始めたことで、自分の見えていないもの、感じられていないこと、表現しきれていないことが、山ほどあるってことがわかったし、なによりも、表現されるのを待っているものが、こんなに溢れているんだと、それがわかって嬉しかった。
ひとつひとつ、自分で感触を確かめながら、伝えていけばいいんだと、進んでいく中でみつけた表現手段のひとつが「ゴリフル」でした。
最初は毎日7分描くことに、こだわっていたけれど、「本にする」という、新たな目的地を決めたことで、これから私は何を書いていくのか。
これまでと変わらない部分もあれば、今までとはちょっと変わっていくところも、あるだろうと思います。今はまだはっきりとは見えないけれど、自分や誰かの目を見て、ごまかさずに書く。そんな「未来」のことなら、ちょっぴり楽しみにしても、いいんじゃないかって思うんです。
いっしょに紙の本、つくってみませんか?
さて、ZINE(ジンと読みます)は、いわゆる自費出版の本です。
ISBNコードのない本がほとんどなので、普通の本屋さんや、amazonでは買えない本ばかり。
本屋さんに並ぶ本以上に作者の愛情(偏愛)や温もりが伝わってくるものが多いんですよね。
たとえばコレとか。

収集マニアの4人でひたすらバナナのシールだけを集めた作品。
これはvol.1だけどvol2もあります。

お前ら、バカだな〜!
って思うけど、「どこの国のだろ?」って、パラパラとみてしまう、妙な中毒性があります。

じつは、自分でも気づかないうちに、ポツポツと自費出版のZINEの類を買っていたことに気づきました。
ソナチネという詩集は、京都の古本屋さんで偶然見つけて買ったのですが、版を重ねて、すでに第四版。ことばの力を感じる優れた作品ばかり。

ZINEやリトルプレスは、今回行ったような古本市とか、ブックフェス、ZINEを扱う小さめの本屋さん、みたいなアナログの場でしか手に入らないものが多いんですよね。
見方によっては、ものすごく、効率が悪い出会い方ですが、それがまたいいのです。
わざわざ、出かけていって、ひとつひとつ手に取って吟味し、作者や本屋さんと話をして、宝物を見つけて帰るこどものように、ホクホクしながら帰る。作者の方も、大切な作品を宝物のように持ち帰ってもらえる。自分にとって思い入れのある作品を、大切に持ち帰ってもらえるのって、やっぱり嬉しいと思うのです。
濃密な時間と、コミュニケーションが交わされてはじめて届くことばや表現がある。それって、紙の本だから叶えられることじゃないかなって。
Kindleのような電子書籍も確かに便利です。
私もすっかり寝床のお供になっていますが、やっぱりそういう便利さ、効率では置き換えられない出会いや温もり、時間の流れが、紙の本にはあると思うんですよね。
もし、私といっしょに紙の本(ZINE)づくりにチャレンジしてみたい方がいらしたら、編集室「余白」も覗いてみてください。久しぶりのろっぺん書房からのご案内です。
まぁ、ちょっと私もどこに向かえばいいのか迷っていましたから、やっと出せたって感じです。
私もAmazonのオンデマンド以外で「紙の本」にトライするのははじめてなので、情報共有しながら、
一緒に進んでいただける方、ぜひ、ご一緒しましょう。
TOMOKO

