『ゴリフル』を本にしよう。そう決めたのはいつだっただろう。とにかく作品にすると決めてからは、ずっと頭の片隅にゴリフルがある。書くために必要なのは、書くことだけではない。そこに注意を向けつづけることが、どうしても必要なのだ。
「作品にする」というその気持ちひとつで面白いほどことばは変わっていく。というより、変わらざるを得ない。自分の思考のクセ、固定観念、思い込み、偏り、感情、記憶、いろんなものがたくさん出てくる。ことばにくっついているのは、意味や定義だけではない。自我や固定観念、価値観のようなものが妖怪のように張りついて「ケケケ・・・」とこちらを見て笑っている。
書きたいのに書けないとき、私たちはことばと一緒に握り締めている不要な自我や観念、価値観、すなわち過去と訣別せねばならなかったりする。当然、妖怪は「こっちの水はあ~まいぞ」とわたしを誘惑してくる。でも、もうその水ではわたしの喉は潤せないし、自分を潤せないことばで誰かを潤すことは、もうできない。
ことばが変わる、自分が変わる。
もちろん、新しい自分に変わることを、SNSやメルマガ、ブログのような媒体で為せる人もたくさんいるだろう。でも、わたしは「作品にすること」が必要だったようだ。それは、覚悟の深さの問題かもしれない。作品にしようと思ったら、ひとつひとつことばを吟味し、選び直す作業が発生する。はっきり言って面倒くさいし、時間もかかるし、そんなに楽しい作業でもない。早く前に進みたいのに、まるで後ろ向きで歩いているような気持ちになったりもする。「いったい何をやってるのか?」そう思うことは、しょっちゅうだ。いまどき、AIをポチッとすれば、それっぽい文章を数秒で書き出してくれるし、推敲だって正確にやってくれるというのに。
でも、ことばを吟味することは、自分にとって大切なことば、何をしあわせだと感じるのかを選ぶことなのだ。その答えは、外にはない。自分で感じ、ことばを選びとることでしか見つけようがない。ことばを大切にすることは、自分を大切にすることであり、人生を大切にすることだ。「作品」をつくるということほど、わたしにそれをさせてくれるものはない。作品をつくることが、「感覚することば」の実践そのものになっていることに気づいたのだった。
作品をつくるだなんて、自分には関係ない。途方もない道のりだと思う人もいるかもしれない。でも、ひとつ間違いなくいえることがある。それは、たとえ、作品として完成するのはずっと先のことだったとしても、そのために今日、あなたが吟味して選んだ一粒のことばは、必ずあなたをしあわせにし、勇気づけてくれるということだ。
なぜなら、「今日」という一日をしあわせに、大切に生きることなしに、作品をつくることなんてできなからだ。

ことばが感覚する?!
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