こっちゃんからリクエストをもらった。

この顔描いて!
と見せてきた変顔は、遊☆戯☆王に出てくる、城之内のしゃくれ顔である。
城之内・変顔と検索するとたくさん出てくるので、参照していただきたい。その顔を見た時は、ものすごく驚いたのだが、実際に描こうとしてみると、城之内と比べてこっちゃんの顎はかなり小さいのである。こっちゃんに見えるレベルでしゃくれ顎にするのはなかなか難しかった。
おまけに、書道の帰りに、マッキーじゃなくて
筆ペンだったらどうだろう?
なんて思ってしまい、合計4枚も描いてしまった。
筆ペンは乾きが遅いことは知っていたので、ハガキの素材をいつもと違うものにしたのだが、そうするとこんどは凸凹にインクがうまく乗らない。ちょっぴり扱いが難しい。




ハウツー本が本棚の肥やしになりがちな理由
納得がいかない出来ばえにストレスを感じる人もいると思うが、実はこれは良い兆候である。今回の場合であれば、私の心で捉えている「娘の変顔の面白さ」はまだ十分に表現しきれていない。正直なところ、まだ「見る」ことが十分にできていないのだろうと思う。
ただ「見る」の話は奥深いので、また別の機会に譲るとして、文章でも、音楽でも、「思うようにいかない」という課題が具体的になってはじめて、どうしたらできるかという「手法(HOW)」の話が効いてくる。
キャッチコピー集とか、デザイン帳といったハウツー本が本棚の肥やしになりがちなのは、「今の自分に何が必要か?」の解像度が低い段階で、膨大な情報を与えられても、まず第一に、その中からどれを自分に取り込めば良いかの取捨選択できない。第二に、得たものから自分なりに再構成して表現する力が不足していることが多いからである。
目的(課題)が明確になっていない段階で、膨大にある技法を片っ端から詰め込んでも、使えるようにならない。それができるのは、自分の中で何を表現したいかや、課題が明確になってからだ。
その意味では、私たちは自分を深く識る必要がある。自分を探求することなしに、説得力のある表現はできない。
というわけで今回は最後に、私が大好きなロバート・ヘンライの言葉を贈る。
TOMOKO
