共感したり、相手に寄り添うのが苦手、という人がいる。
その言葉の裏には、共感できる人は「良い人」で、共感できない人は「冷たい人」という固定観念のようなものも潜んでいそうだ。みなさんは、どう思われるだろうか。
よく女性は「共感」を求める生き物だといわれる。でも、それって本当だろうか?
案外、女性というのはしたたかな生き物なので「共感(同情)するなら金をくれ!」って思ってるかもしれないし、100%の共感なんて、アリエナイこともよ〜くわかっているのである。世間で言われるほどには「共感」なんて求めていなくて、ただしゃべりたいだけだったり、愚痴りたいだけかもしれない。

Aさんって、やさしいんだけどね〜
と言われている彼が、恋愛対象にならないのは、やさしいだけじゃダメなのよ。共感力が高いだけじゃ、キビチー現実世界をサバイブできない。ということを直感している、あるいはすでに痛感しているからじゃないだろうか。
そもそも「共感」とは何だろう?
共感という馴れ合いの世界に浸るよりも
誰かと共感しあえるとき、確かに私たちは安心し、人の温もりを感じたりもする。
だから、共感しあえることに意味がない、とは言わない。
だけど、
単なる共感じゃ、浅いし、退屈なのよね・・・
そんな風に思っている人もいるんじゃないだろうか。表面的な仲良しごっこをするくらいならひとりでいる方が気が楽だ。そんな人もいるはずだ。
共感は「わかりあおうとする」ための入口にすぎない。たしかに自分とは違う感覚や、異質なものを目の前にすると、人は不安にもなるし、ときに苛立ちもする。けれども、均質なものが集まるだけでは、新しい「創造」は難しい。
異質さを面白がり、摩擦を遊びに変える、そんな関係性を広げたり深めていくことで、より創造的な関係が、ファンタジアが広がっていく。
「わかり合えないこと」は、悪いことではない。むしろ、違うことを受け入れる度量の深さのほうが、ほんとうの「やさしさ」だろう。
自分にないものを互いに差し出し合える、そんな信頼関係が生まれてはじめて、単なる共感を超える「ファンタジア」を育てる土俵に立てるんじゃないだろうか。
TOMOKO