
刻まれた時間の光がやさしい瞳に宿る、御歳41歳のモンタくん。
正面から描いたら「なんか違う・・・」ってなったので(右下)、斜めアングルをブルーでもう一度描きました。
今日はモンタくんの眼差しから、「見守ること」について書いてみようと思います。
自由に描いていいって言ったのに!
娘の誕生日に、あるクレヨン画の教室に参加したときのこと。 冒頭から今までにないクレヨンの使い方を教わって、ちょっぴりドキドキしながらも、「自由に描いていいよ」といわれて、嬉々としながら娘は描きはじめました。
GONTAROあっ!
先生が、雲の描き方のお手本を、娘の作品の上にやってみせた瞬間、娘の表情が変わりました。そして「ここは力がいるだろうからお母さん手伝ってあげたら?」とおっしゃったのです。もちろん、作品を良くするためのアドバイスだったと思います。でも、先生の正解が与えられてからの娘は、明らかに作品に対する集中力を失っていきました。娘が教えて欲しかったのは、先生やオトナが与える正解ではなく、クレヨンをつかって自分で創意工夫する楽しみだったはずです。
その教室は、半数以上が大人の生徒さんでした。大人は、先生の「正解」を教えてもらえる方が、安心するのかもしれません。娘にとっては、憧れの先生だったのですが、巡回するたびに、生徒さんの作品に直接手を入れていく。そのことに、娘は終始、悶々としていたようでした。
カイジュウ先生だったら、ぜったいにそんなことしない
娘が「カイジュウ先生」と呼ぶのは、娘が通っている工作教室の先生です。

カイジュウ先生は、失敗してもいいんだよ、次に活かそうね!
って言ってくれる。
どうしてもわからないときだけ、聞いたら教えてくれる。
帰り道にそう教えてくれました
教える側が、そのように接するのは、どれほど難しいことかと思います。カイジュウ先生だって、その道30年というベテランの先生ですから、たくさんの「正解」をお持ちのはず。でも、たくさんの技法や素材について、「これも、あれも楽しいよ!と伝えることはあっても、それらをどう使って楽しむかは、こどもたちの自由なのだと。
「あなたが表現したいことは何?」それを表現するために、どうしたらいいかを自分で考えていく。それは、ときに失敗することもあるけれど、それはとっても楽しいことなんだよという創造の喜びを、カイジュウ先生は教えてくれているそうです。
いい先生に出会えて、娘は幸せだなと思ったのと同時に、先生が自分たちにどう接してくれているのか、ここまで言葉にできるようになったのかと、娘の成長を感じた誕生日でした。
「見守る」ためには、よく「見る」ことが必要で
親は子どもを育てていると錯覚していますが、ほんとうは、こどもを見守ることを通じて、よく見なさい、って教わってるのですよね。
こどもの方が、本当によく「見えて」いますから、ごまかしはききません。これだけ情報が溢れていますから、今のこどもが求めているのは、半端な知識や情報ではありません。なぜ、そういう考え方をするのか、どうやってその答えを導き出しているのか、というプロセスや考え方の方だったりして、問われるたびに、ハッとさせられたり、ものすごく考えさせられたり、うーん、あの答え方でよかったのか?と思うこともしばしば。
共感能力を持ったゴリラの子育て
ゴリラ研究の権威と言われる山極寿一氏によると、サルにも「共感」の能力はみられ、とりわけゴリラやチンパンジーは、仲間の喧嘩に仲裁したり、傷ついた仲間をなぐさめる行動も見られるのだそうです。(参考文献『ゴリラの森で考える』山極寿一著)
「痛み」に共感する能力を持っているのですから、きっと、こどもの「できない苦しみ」もわかるはず。でも、彼らはこどもの代わりにやってあげるなんてことはしません。あなたもできるよ、という信頼を寄せ続け、一定の距離を保って見守ります。
いくら自由に、といっても、何でもしていいと放任するのではありません。見守りながら、こども自身の創意工夫を促していく。ゴリラの子育てや接し方から私たち人間が学べることはたくさんありそうです。
TOMOKO
