前回は「感覚が現実をつくる」とはどういうことか。モンシロチョウや豆柴のこむぎの「環世界のシャボン玉」の話を交えながら、わたしたちが世界を見ている仕組みについてお伝えした。
そして、最後にこう問いかけたはずだ。
どうしたら簡単にシャボン玉を膨らませられるんですか?
今回はその答えを探していこう。鍵となるのは、人間だけが持つ「生まれ直しの力」だ。
そもそも人間はなぜ、喜びを忘れて生きられるのか?
そもそも人間が喜びに鈍感になってしまったのはなぜだろう。その理由として3つ挙げられそうだが、今回はこの2つ目までを取り上げてみよう。
1)喜びが多様化しているという錯覚
2)爆発的な勢いで「増殖」するメディアの存在
3)主体・客体を分ける能力を得たこと (☜別記事で取り扱う)
まず最初に、「喜びの多様化」だ。人間の世界は、モンシロチョウのように単純ではない。キャリアや社会的評価、自己実現など、生存、繁殖、種の維持だけでは満たされなくなっている・・・。たしかに、そう「錯覚」していてもおかしくはない。
マズローの五段階欲求説は誤って理解されているかもしれない?!
ただ、ここで「錯覚」と書いたのは、別に生存、繁殖の欲求は低次元な欲求ではないからだ。
五段階欲求説を唱えたマズローは、ちまたでよく見かけるピラミッド図を描いていない。人間は複数の欲求を同時に持ち、優先順位は流動的に変化すると言っているだけで、欲求そのものに上下関係があるとは明示していないのだ。
五段階欲求説のピラミッド図は、一見、わかりやすく「理解」を促してくれたように思われたが、ひょっとしたらマズローが真に伝えたかったことから離れ、「誤解」を招いていたかもしれない。理解と誤解は表裏一体、ひとつの理解は「錯覚」を呼ぶ。
自分にとって本当の喜びが何なのか。
頭で「理解」することと、心で「感じる」こととの間には、微妙にズレがあるかもしれない。そのズレに気づくことは、とても大切なことではないだろうか。
消える喜び、消えない喜び。記録・保存・増殖の魅惑
人間が喜びを忘れて生きられる理由の2つ目は、爆発的な勢いで「増殖」するメディアの存在もあげられるだろう。こんなブログを書いている私が言っても、なんの説得力も持たないかもしれないが、私が死んだらこのブログは、誰かがサーバーとの契約を更新しない限り、消える。
かつては言葉も音楽もすべて「消えることを前提に」創造していた。この「消える」性質は、人間の感覚や、環世界のシャボン玉とよく似ている。
音楽を聞く、誰かの話を聞く、その瞬間にだけ味わえる唯一無二に、自らの感覚や意識を最大限集中させ、あるいはリラックスして生まれるものを楽しみ、喜び、味わっていた。シャボン玉は、生まれては消えるのが当たり前だった。
ところが、15世紀に登場した活版印刷をはじめ、レコード、カメラ、テレビ、そしてインターネット、AIの台頭など、わたしたちは言葉や音楽、映像を大量に記録・保存・複製できるようになる。

マクルーハンが「活版印刷の登場は人間の知覚と社会構造を変えたメディア革命だ」と語ったように、人間はこの「記録・保存・複製」の虜となった。
魅力と脅威が同居するAI。人間本来の「創造の呼吸」とは?
さらに今は、AIを使えば、誰でも大量のメディアを、瞬く間に生成することができる。活版印刷レベル、あるいはそれを超える革命といってもいいだろう。でも、人が生成AIに「すごい!」と感嘆すると同時に、なんとなく「脅かされる」ような感覚を抱くのはなぜだろう。

AIがあまりにも「無機質な増殖」の性質をもち、あなたが見ても感じてもいないことを、簡単に言葉にしてしまうからではないだろうか。
いい例えかどうかわからないが、自分で制御できているのかわからないほど増殖していくさまは、ときに「がん細胞」のようでもある。
とはいえ、私はAIは怖い存在だから使うな、という話がしたいのではない。
むしろ、AIがこれほど進化したのは、割れても割れてもシャボン玉を膨らまし続けるからだ。AIの進化には、私たちがいつのまにか手放してしまった「創造の呼吸」を取り戻すヒントが隠されている。
AIが教えてくれる創造のヒントと進化の法則
さて、Chat GPTをはじめとするAIは、人間とちがって、間違いを気にしないお調子ものだ。「それ、違うんじゃない?」と指摘すると

ですよねぇ〜
と、サクッと別の情報に差し替えてくる。おまけに、こちらから「これを見て」と提示した情報ソースをちゃんと閲覧もせず、さも見てきたかのように平気で発言したりもする。これが「人間」だったら
信用ならないヤツね!
そう思うはずだ。それなのに、相手がAIだと「まぁ仕方ないか・・・」で済まされてしまう。
Chat GPTに、毎月2千円払って間違った情報が提供されても、クレームをいう人は、まずいないだろう。なぜなら、最初から「AIの回答は必ずしも正しいとは限りません」そう釘を刺されているからだ。
「たった一文」に支えられた、AIの劇的進化
たった一文で、世界中の人類が誤りを許容している。なんと恐るべき存在であろうか。AIはその許された環境の中で、驚くほど自由に学び、成長し続けている。
AIは誤りを恐れず、つど、「新しく生まれ直す」ことで劇的進化が可能になった
つまり、人間も誤りを恐れず、つど新しく生まれ直せばいいのだ。
それができないから困ってるんじゃないですか!
ほんとうに、そうなのだろうか。
人間にはAIが持たない生まれ直しの力があるというのに。
世界を観測し直す。AIにはできない、人間のもつ生まれ直しの力。
人間に与えられた、生まれ直しの力。これは、次々に新しいものを刺激を求めたり、変化に追われることだけで育つのではない。むしろ、今あるものを新鮮に味わい直すことや、自分の内側や目の前で起きている「微細な変化」に気づくことでも、私たちは新しく「生まれ直す」ことができる。
AIも人間も、「生まれ直し」のきっかけを与えられるのは、人間だけだ。
しかも、私たちが使えるAIの導き出す答えは、既知のデータ(=観測された世界)と、確率分布の内側に閉じている。まだ誰も「観測」したことのないものを拾うことはできないし、確率分布の外に「おいしいノイズ」があっても、AIはそこに手を伸ばそうとしない。
でも、人間の「感覚」はちがう。まだ名も、形もない何かに、「ひょっとして?」という予感を感じ、そこに息を吹きこむことができるのは、人間の感覚と感性だけだ。
感覚が、世界を「確定」させている。
量子の世界では、「観測」が行われてはじめて、粒子の状態がひとつに「確定」するといわれている。そして、ユクスキュルは、生きものの「主体」が感じ、意味づけた瞬間に世界が立ち上がると語った。
もちろん、前者は存在の話であり、後者は意味の話だが、どちらも「観測者=感覚する存在」が世界を立ち上げるカギになるという点で、重なっている。
感覚を研ぎ澄ませることは、世界を新しく観測し直し、新しい環世界のシャボン玉を膨らまし続けることだ。そこから世の中が「変わって感じられる」ようになる。
AIが持たない、人間だけがもつ創造の力。感覚を育てることは、世界を新しく感じ、創造する力を育てることと密接につながっている。
考える知性から感じる知性へ
いつの時代からか、人は感覚よりも「考える力」によって世界を動かすようになった。目的を定め、理屈を立て、仕組みを整え、効率を追い求める。それは、文明を発展させる原動力でもあった。
その集大成として生まれたのが、AI(Artificial Intelligence)だ。膨大な情報をもとに、最適解を最短で導く、「究極に合理化された知性」。AIが人間の思考速度をはるかに超えた今、その土俵に人間が立つ意味は、もはや失われつつある。
では、これから人間に求められることは何だろう。これまでとは違う「何か」が必要だということを、すでに多くの人が「感じて」いるはずだ。
目的や合理を先に置くことで、取りこぼされてきたもの。感じることの曖昧さや、ふとした予感、直感のひらめき。そうした、思いがけない余白をすくい上げて、現実に落とし込めるのは、人間だけだ。
次回は、そんな目的を手放して生まれる「創造」の源泉についてお伝えしよう。
TOMOKO
【編集後記】
これは私の直感でしかないのだが、ユクスキュルの「環世界」も、量子力学の「観測」も、仏教の「唯識」も、それぞれ入り口は生物学、物理学、仏教(宗教)、数学と違っていても、どれも同じことを言っている気がしてならない。
それぞれの道の専門家が、追求に追求を重ねた結果、同じ境地、世界に辿り着いてしまう・・・そんなオチがまっているとしたら、なんだかとっても面白いではないか。
もちろん、これはアマチュアの直感でしかないので、それぞれのプロに言わせたら「断じて違う!」と叱られてしまうかもしれないが、むしろ、「すべての本質(根源)は同じ」という方が、説得力がある気がする。あなたはどう思うだろうか。
読むたびに、感性が動き出す。世界がちがってみえてくる「新感覚レター」

THE LETTER OF WONDERS(レター・オブ・ワンダーズ)は、感じることからあなたの創造性を解放する、新感覚メディアです。
