2時31分から3時53分の皆既月食。家族3人で赤い月を眺めました。

お隣さんがすでに見ていて、月の方向をすぐに教えてくれました。真夜中でしたが、散歩しながら見ている人もいたりと、案外、がんばって起きた人が多かったのかもしれませんね。
満月でも、月蝕のやわらかな月明かりのもと、星もたくさん見られました。

星座盤の見方を教えてくれ
娘が学校で渡された星座盤の使い方を知りたい、というのでトライしてみたのだけど、暗くて星座盤がよく見えない・・・(汗)。
星を見るのは結構すきだったから、アナログの星座盤は、私もこどもの頃よくつかっていたんだけど、蛍光塗料かなにかで、もう少し光っていたような・・・。
せっかくの星空のもと、煌々とスマホで星座盤を照らすのは、それまでの静寂が破られて台無しになる気がして、使い方だけ教えて、星や星座そのものを確認するのは途中で断念。スマホの天体観測アプリも、都会にいるならその気になれて便利だけど、いざ、満天の星空のもとにたったら、降りそそぐ星の光をただただ浴びていたくなりそうだ。
この夏、決めたこと
実は、ここ数ヶ月、なんともモヤモヤ〜っとしたすっきりしない時間を過ごしておりました。そんなモヤモヤ仮面の私を救ってくれたのが、
アート!
だったのであります。
最初のきっかけは「書道」をはじめたことだったでしょうか。
その方を知ることができたのは、まったくの偶然。私が大好きなサイトがあり、たまたま覗いたら、今のお師匠さんのイベントと動画が掲載されていたのです。
この人は!とHPやらインスタやらを覗く。大阪の方だったので、教わるチャンスがあるとは思ってもみなかったのですが、お教室の案内を見て、速攻で飛び込みました。
もちろん初心者なので、へたっぴです。思わぬ方向に筆が進んでくれず、思うようにいきません。
あるいは、師匠から「これはいいね!」と言ってもらっても、

どうやって書いていたんだっけ?
再現できない(苦笑)。
それでも、アナログで手を動かしながら、ひと文字、一文字と向き合い、書を書くことの難しさと気持ちよさを味わっております。鼻をつきぬける、墨のあの独特の匂いも好き。2時間のお稽古はあっという間です。
1本の線にも個性が出まくってしまう
おまけに、お稽古初日に「一」の字をひたすら書いていたら、師匠が「ともこさんて、おとなしそうに見えますけど、実は○○ですか?」と鋭いご指摘(笑)
一本の線にもありありと個性が出てしまうのであ〜る。
子どもの頃は「もっとちゃんと、お手本を見て!」って言われても窮屈なだけで、1ミリも楽しめなかったのですが、この歳になってようやく、書道の面白さは「自分のクセ」と対峙しながら、その人らしい理想の線を描き出すことにあるんじゃないかと思えるようになった。ちょっと成長したんじゃないだろうか、私、と自画自賛しておく。
頭から「基本」の重要性を押し付けられてもはねのけたくなるが、自分の内に、ちゃんと必然性が感じられれば、基本を学んでおこうと思えるから不思議なものである。
失われゆく人間の「原初」の質感
夏休み中は、娘と一緒にワークショップに参加したり、美術展や写真展も訪れました。

野町和嘉氏の「人間の大地展」では、冒頭にこんなメッセージが添えられていました。
—以下、引用–
「この十数年間で、世界を猛スピードで覆いつくしてしまったグローバリズムによって、どの土地にあっても、憑き物が落ちてしまったような
印象を受けるのである。
世界はフラットに、そして破格に便利で効率的になった。そのために、風土に根ざした民族文化が
どれほど変質してしまったことか、と思う。」
–引用、ここまで–
写真展ではサハラ、ナイル、チベット、アンデスなど7つの地域の衝撃的でパワフルな写真が展示されており、私からすれば、どれも圧倒されるような光景ばかり。それでも、この十数年の変遷を見てきた野町氏からすれば、もはや「かつての面影はない」のかもしれません。
私は、あの頃はよかったとか、もとの姿に戻すべきだということが言いたいのではありません。
おそらくそれは不可能でしょう。
でも、野町氏の言う、「これまでの十数年」よりも格段に早いスピードでこれから世界は均質化されていくでしょう。

AIの台頭により、人間がやらなくていいことが増え、格段に便利にスピーディにますます効率化されていく。
もはや個人やちょっとした企業レベルでは、抗いようのない「濁流」のような勢いで流れこんできている。もちろん、そのことで自由になる時間や労力もたくさんあるけれど、本当に、その流れに呑まれるだけではならない、と警笛を鳴らす私もいるのです。
このままでは、失われてほしくないものまで失われていく。
どこか、手放しでは喜べない未来が待っているのでは?
そんな予感や、危機感を感じている人が、今、どのくらいいるのかわかりません。でも、そこに何か、私たちが、人間が人間として生きていることの「楔」のようなものを打つことができるとしたら
アートを取り入れる
これしかないのでは?とも思うのです。
アートが「遠い存在」になってしまうのはなぜなのか。
え、アート!?
私にはちょっと縁がないわ〜。
そう思う人もいるかもしれません。私自身もそうだったからわかります。
「アート」って聞くだけで、なにか崇高なものを思い浮かべてしまう。
上手い絵や素晴らしいビジュアルがなければアートとはいえない。
そんな「思い込み」や「観念」を私自身もしっかりと握りしめていました。最初は、独学でデッサンを練習したのだって、まずはそこからはじめないと・・・という謎の「思い込み」があったからです。

うーん、これどうなんだ?
うまくいった、と思っても、それ以上の良し悪しはよくわからない。
あるいは、明らかにうまくいっていないゾ、そこまではわかっても、どう直せばいいのかもわからない。
だからといって、家の近所の絵画教室を調べてみるも、どうも違うような気がしてしまう。
大変失礼ながら、その教室で描かれたという絵をみても、心がワクッとしたり、憧れる気持ちが起こらない。
初心者なんだから、わ〜がままいってんじゃねえ!という人もいるだろうが、ココロがときめかない時点で、おそらく(私にとっては)アウトであり、こんまりさんもアウトォ!だと言うだろう(いって欲しい)。続けられない未来が見えてしまったらやってみたい気持ちまで沈澱するという、ワ〜ガママな人間なのである。
やっぱり、私にはアートは無理なのでは?
何度そう思ったかわからない。
それでも、どういうわけかアートへの憧れだけは、途絶えることがなく、その後も、コラージュやら、抽象画やら、結局、わたしはアートをいつまでも自分からほど遠い存在のままにしたくない。そんな密かな想いをずっと抱きつづけていたのである。
頭より手を動かすべし!「ラクガキ」ではじめるアートのススメ

この夏、娘と参加したワークショップが、私にとってはアートをぐっと身近な存在に引き寄せる、ひとつの転機になった気がする。
特に、「マッキーペン」をつかって一発勝負で描くワークがものすごくよかった。画像はそのワークから派生した「ラクガキ」である。
大御所のアーティストたちが「誰もがみんな生まれながらにアーティスト」そういっている。
美術評論家がすばらしいと評価するアートだけに価値があるわけじゃない。
だけど、そういう話は「頭」でわかっても意味がない。
結局のところ、自分で手を動かしたり、生み出す行為をしない限りは、心からそうだと腑に落ちる日はやってこないのだ。
時間ができたらやろう
やっぱりハードルが高い!
自分には無理かも・・・
そんな言い訳をしているうちに、人生はあっという間に過ぎ去ってしまう(私がその張本人でもある)。
じゃあどうしたらいいのか。
今の自分の日常に、ラクに取り入れられて楽しめるアート。
ここからはじめるしかない。
特別な環境や、特別な道具を用意せずとも、誰でも気軽にはじめられるアート。
とにかく自分にやさしく、おもいっきりハードルを下げて、上手い下手は気にしなくて済むような「ラクガキアート」から、気軽にはじめてみてほしい。そんなラクガキでもちゃんと素敵な効用が感じられるので、こちらの記事もぜひ見て欲しい。
私のしょうもない作品が、あなたの「アートフルライフの一歩」を勇気づけていたら、私もうれしい。
おあとがよろしいようで。
では、今日はこの辺で。
TOMOKO