娘とズートピア2を観に行ってきました(2回目)。
鑑賞後、娘が「どちらかといえば、私はジュディホップス(主役の🐰)かな〜」なんて、調子こいてきたので、私も便乗して、「じゃあワタシはニック🦊かな?」って答えたら、
速攻で

違うよ!
ママはビーバーだよ!
ってツッコまれました。

映画を見てないと、どんなキャラかわからないと思うのですが、ビーバーのニブルスって、すげー変わり者なのです。
ネット検索して、デスクリプションだけ見ていただくと、陰謀論をポッドキャストしている=ヤバいやつとしか思えない・・・
でも、その変態性と特異な能力で、まあまあストーリー展開の鍵を握っていたりします。
言われた瞬間は
Honyomi-manえっ!アイツ?!
と、軽くショックを受けたんですが、「だってママって、ちょっと面白くて変わってるじゃん。ゴリラ描く趣味とかあるしさ〜」と、さらに追い討ち。
でも、一晩たって、じわじわと合点がいくというか、妙に芯食ってる分析だったなぁ・・・と感心しております。自分のことって、ほんと、自分ではよくわからないものですね。
絵は、セイウチのラス (Russ)とBub bubいいながら、交渉するシーンです。
参考にした原画が見切れてたので、まんま見切れてます。
私は、見たものしか描けません。
でも、見たもの、感じたことを、描くように書けたらいいなって思いませんか?
言語化したければ、言葉からいったん離れなさい
ここ最近、ゴリフル(万年筆ドローイング)を続けて感じているのは、
いったん
言葉の束縛から離れることで、
言葉はもっと自由になれる! ということ。
自分が何を見て、感じているのか。
先入観、固定観念なしに、まず見て、感じる。
そして、それを言葉にする。
私は絵を描きはじめたことで
いかに自分が見ていないかということに気づかされました。
言葉も一緒だと思うんですよね。
私たちは、自分で見ても感じてもいないことを言葉にすることもできてしまいます。
昨年のマッキーをはじめ、万年筆ドローイングに取り組んでよかったのは、まず「見る」ことに
集中できるようになったことです。
それから、もうひとつ。
いったん言葉から離れて「感じる」ことができる。
これが、ものすごく言語化に効くということもわかってきました。
モーニングノート、ジャーナリングなどの「書く瞑想」もいいんですけど、どうしても言葉で綴りますから、左脳の呪縛から自由になれない人もいるんじゃないかなと思うんですよね。
私がやっているドローイングはちょっと特殊な方法で描いていて、左脳のおしゃべりが止んでしまう方法です。
右脳(感覚、直感、感性)と
左脳(言語化、構造化、知性)を自在に行き来できるようになれば、言葉や表現はもっと自由になります。
というわけで、先月リリースしたSense of Fragments は、
右脳的な感受性を開いて
言葉を連れて帰ってくる場所として、ドローイングやコラージュも取り入れて再リリースします。
もちろん、上手な絵を描くための場所ではありませんから、絵ゴコロなくても心配いりません。
アートの最初の期待値は=言葉からの一時解放です。
というわけで、お楽しみに!
P.S. 娘は3月13日公開の『私がビーバーになる時』って映画も観たいんだとか。
妙にビーバーづいてますな。
TOMOKO
自分の感受性に正直でありたい人へ

THE LETTER OF WONDERS(レター・オブ・ワンダーズ)は読むたびに、あなたの感性が動き出す、新感覚レターです。自分らしい創造のスイッチを入れたい方にお届けしています。
